改訂新版 世界大百科事典 「結負制」の意味・わかりやすい解説
結負制 (けっぷせい)
朝鮮独特の土地面積表示法。起源は,人間の手で一握りの量の穀物を租税として負担すべき広さの土地を1把の土地とし,10把を1束,10束を1負,100負を1結としたことに始まると思われる。三国時代から1918年までの長い期間使用されたが,その内容は時代により異なる。各時代の結負制の理解については異論が多いが,通説では次の4期に分ける。(1)〈結=頃〉時代(高麗中期まで) 結・負が中国の面積単位たる頃・畝と同義のものとして用いられていた時代で,結・負が土地の絶対面積を表した。ただこの時代の1結の広さについては,約1.5haとする説から約6haとする説まで,異論が多い。(2)〈随等異尺・3指尺〉時代(高麗中期~1444) 肥沃度により土地を3等級に分け,結負を定めるための量田(検地のこと。〈量案〉の項を参照)に際して,3種の異なる指尺が用いられた時代。成年男子の親指を除いた右手4指の幅を基準として,上田は20指,中田は25指,下田は30指の長さを1尺とする量田尺で土地を測量し,21尺平方を1負の広さとした。上,中,下田1結の面積は約0.7ha,1.1ha,1.5haにあたる。結負が土地の肥沃度を加味した相対的な面積表示となり,同時に国家の地税賦課基準ともなるという結負制の独特の性格は,この第2期に明瞭となる。(3)〈随等異尺・6周尺〉時代(1444-1653) 第2期の3等級の土地区分が6等級に細分化され,基準尺が指尺から周尺に変更された。1結は1等田で約1ha,6等田で約4haにあたる。(4)〈周尺単一尺〉時代(1653-1918) すべての土地を同一の周尺で測量して,その地積の絶対数を肥沃度に応じて6等級に分けた。内容的には第3期と同じ結果になるが,基準尺たる周尺が若干長くされたため,1結の広さは1割ほど広くなった。
結負制の変遷は,朝鮮の土地制度史や農業史を研究するうえで重要な意味を持つ。日本植民地下で朝鮮土地調査事業の完了に伴う1918年の改訂地税令によって廃棄され,日本式の町反・坪制に取って代わられた。なお民間では結負のほかに,穀物の播種量で面積を表示する斗落(とらく),牛1頭で1日に耕せる広さを表す日耕(じつこう)などの単位も用いられた。
執筆者:宮嶋 博史
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報