矢野正世(読み)ヤノ マサヨ

20世紀日本人名事典 「矢野正世」の解説

矢野 正世
ヤノ マサヨ

大正・昭和期の著述家財務主筆



生年
明治22(1889)年1月12日

没年
昭和11(1936)年10月17日

出生地
茨城県北相馬郡大野村野木崎

経歴
大正2年東京毎夕新聞に入社。12年の関東大震災後、万朝報、内外通信社、読売新聞社で営業局長などを務める。昭和6年花王石鹼本舗の長瀬商会常務兼支配人となったが、11年辞して雑誌「財の教」を創刊した。のち「財務」主筆。この間、蓄財に関する著作を著し、また錦浪の名で川柳後援者としても知られた。俳号は不孤庵有隣。母方曾祖父・谷孫六の名を後年になって筆名に用いた。著書に「岡辰押切帳」「貨殖全集」「大正柳だる」「逆説法」「著眼の天才」「孫六銭話」「孫六の戦法」「孟子の説法」「生きた富豪術」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「矢野正世」の解説

矢野正世 やの-まさよ

1889-1936 大正-昭和時代前期の新聞人,著述家。
明治22年1月12日生まれ。東京毎夕新聞,万朝報,読売新聞で営業局長などをつとめる。蓄財に関する著作をあらわし,また錦浪の名で川柳後援者として知られた。昭和11年10月17日死去。48歳。茨城県出身。俳号は不孤庵有隣。筆名は谷孫六。著作に「岡辰押切帳」「孫六銭話」「大正柳だる」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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