矢野組(読み)やのぐみ

日本歴史地名大系 「矢野組」の解説

矢野組
やのぐみ

宇和島藩地方支配の行政区画で十組の一つ。元禄九年(一六九六)の一〇万石高直しで、従来矢野保内(やのほない)として一地域になっていた組が、矢野と保内に分離されて成立した。現八幡浜市域の大部分と大洲(おおず)市・西宇和郡三瓶(みかめ)町域の一部にあたる。

「大成郡録」によると、太閤検地(天正一五年―文禄三年)の石高は七千七一石五升一合、寛文検地(寛文一〇―一二年)では七千四五二石二斗六升四合二勺一才、元禄九年の高直しでは一万一三九石四斗五升一合である。また宝永三年(一七〇六)の戸数一千七七〇、人口一万一千三五八、鰯網一九帖、船二三二艘、うち荷船七艘、網船三八艘、小船一八七艘、宝暦七年(一七五七)の戸数二千二三三、人口一万二千四三九、鰯網二六帖、船二四五艘、うち荷船七艘、網船三四艘、小船二〇四艘となっている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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