知久氏館跡(読み)ちくしやかたあと

日本歴史地名大系 「知久氏館跡」の解説

知久氏館跡
ちくしやかたあと

[現在地名]喬木村阿島 郭

阿島あじま集落の中央に位置する。

阿島の知久氏は、初代則直が慶長六年(一六〇一)に、関ヶ原の戦に功があり、伊那郡本領三千石を安堵された。以来明治まで二六〇年余阿島に在住した。その館はいつ頃造られたかは明確ではないが、おそらく則直の時に造られ、順次整備されたものと思われる。安永五年(一七七六)の惣家中拝領屋敷絵図によると、知久氏館は南西一一二・八メートル、南東一〇三・七メートルの方形の陣屋で、夜番小屋・土蔵・御馬屋・表御門・西番所・稽古場・表玄関・庭・車屋・不動明王・味噌蔵・茶室・御物見・女中部屋などが御殿を取り巻いて配置される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

関連語 館町 区画

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む