日本歴史地名大系 「阿島村」の解説 阿島村あじまむら 長野県:下伊那郡喬木村阿島村[現在地名]喬木村阿島現喬木(たかぎ)村北部に位置し、北は供野(ともの)村(現豊丘村)、東は加々須(かかす)村、南は小川(おがわ)村、西は天竜川を挟んで座光寺(ざこうじ)村(現飯田市)に接する。嘉暦四年(一三二九)鎌倉幕府は諏訪社上社の五月会頭役を伴野(ともの)庄内の地頭に命ずる。その下知状案(守矢文書)に「阿嶋」の名がみえる。中世は知久郷に属し、知久氏が領有した。知久氏は武田氏に滅ぼされたが、慶長六年(一六〇一)徳川氏に安堵され再興、知久則直が阿島三千石の旗本となり、阿島が本拠地となった。以後江戸時代を通じて知久氏の支配が続いた。文政二年(一八一九)の宗門改帳(福沢文書)によると、家数二二四、男五六〇人、女四九三人、計一千五三人であった。 阿島村あしまむら 愛媛県:新居浜市阿島村[現在地名]新居浜市阿島新居郡の東端にあり、東部・南部は、宇摩(うま)郡に接し、西部は郷(ごう)村・多喜浜(たきはま)に接する。山がちで低地は約二〇パーセント。東南の郷山(ごうやま)丘陵に発して西北に流れる阿島・荷内(にない)の両河川沿いの平地に耕地集落がある。慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)の新居郡の項に「阿嶋村 松木山有、小川有」とある。西条藩領。寛文六年(一六六六)の「新居郡之内村々高小物成家数人数船数之帳」(「西条誌」所収)には、村高一九五石二斗余、家数三〇、人数一四七とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報