石ヶ崎支石墓(読み)いしがさきしせきぼ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「石ヶ崎支石墓」の意味・わかりやすい解説

石ヶ崎支石墓
いしがさきしせきぼ

福岡県糸島(いとしま)市所在の弥生(やよい)時代の墳墓遺跡。平野を分断するように突出する標高30メートルの曽根(そね)丘陵の先端に位置する。1949年(昭和24)に調査され、支石墓1基、甕棺墓(かめかんぼ)23基、土壙墓(どこうぼ)3基が検出されたが、ことに支石墓の存在が著名である。支石墓は縄文時代晩期~弥生時代中期に属する甕棺墓群の中心に位置するが、時期的にはその大部分より遅れて出現したものと考えられる。花崗岩(かこうがん)製の上石は傾き、下部構造の石室盗掘のため一部を破壊されている。石室内から碧玉(へきぎょく)製管玉(くだたま)11個を検出。前原地方は支石墓の群集地の西限をなし、しかもそれらは弥生時代前期までに属する。本支石墓は時期的のみならず構造的にも異質であり、支石墓としての性格に再考余地がある。

[高倉洋彰]


出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android