石塚直隆(読み)イシヅカ ナオタカ

20世紀日本人名事典 「石塚直隆」の解説

石塚 直隆
イシヅカ ナオタカ

昭和・平成期の産婦人科学者 元・名古屋大学学長



生年
大正1(1912)年12月2日

没年
平成5(1993)年9月15日

出生地
サンフランシスコ

出身地
神奈川県

学歴〔年〕
大阪帝大医学部卒

学位〔年〕
医学博士

主な受賞名〔年〕
中日文化賞(第25回)〔昭和47年〕「絨毛性腫瘍の臨床的研究」,勲一等瑞宝章〔昭和60年〕

経歴
大阪大学助手、助教授を経て、昭和36年名古屋大学医学部へ。50年から学長を2期6年務め、56年大阪府立母子総合医療センター総長に就任。60年退任。同年随筆集「もう一つの軌跡」を出版

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「石塚直隆」の解説

石塚直隆 いしづか-なおたか

1912-1993 昭和-平成時代の産婦人科学者。
大正元年12月2日サンフランシスコ生まれ。母校大阪帝大で吉松信宝(のぶたか)の指導うけ,奈良県立医大教授をへて,昭和36年名大教授となり,50年学長。56年大阪府立母子保健総合医療センター初代総長。日本産科婦人科学会会長。子宮がんの一種絨毛性腫瘍(じゅうもうせいしゅよう)の臨床的研究で知られた。平成5年9月15日死去。80歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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