石末村(読み)いしずえむら

日本歴史地名大系 「石末村」の解説

石末村
いしずえむら

[現在地名]高根沢町石末

宝積寺ほうしやくじ村の東、野元のもと川流域に位置し、関街道が抜ける。村名は往古栄えた村の土台石が残っていたことにちなむと伝える。永禄(一五五八―七〇)前後と推定される閏月二七日付の芳賀高定書状写(秋田藩家蔵文書)によると、礎の地に高定が出陣した際、平野大膳亮が功を立てている。今宮祭祀録(西導寺蔵)には石礎村・石末村・上石礎村・上石末村がみえ、今宮いまみや神社(現氏家町)祭礼に際し社家役として拝殿一間および祭礼の役として上衣着を勤仕、また応永一〇年(一四〇三)より天正一一年(一五八三)にかけ同村の若色氏が頭役を勤めている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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