日本歴史地名大系 「石林村」の解説 石林村いしばやしむら 栃木県:那須郡西那須野町石林村[現在地名]西那須野町石林・新南郷屋(しんみなみごうや)・下永田(しもながた)七丁目高柳(たかやなぎ)村の南東にあり、北は槻沢(つきぬきざわ)村。ほぼ中央を原街道が南北に通る。蟇沼(ひきぬま)用水が北から南へ貫流し、人家は徐徐にこの堀沿いに移った。天正一八年(一五九〇)大田原晴清が豊臣秀吉から安堵された所領のうちに「いしはやし」四二石一斗があり(「大田原藩領知覚書」伊藤安雄文書)、以後大田原藩領。慶安郷帳の高も同じで畑方のみ。元禄郷帳にみえる当村枝郷南小屋(みなみごや)村は近世末期に分村し、南郷屋村となる。 石林村いしばやしむら 長野県:飯田市石林村[現在地名]飯田市石林現飯田市の南東部の山間に位置する。古代は伴野(ともの)郷、のちに伴野庄南山(みなみやま)郷に属し、知久氏の支配下にあった。近世は慶長六年(一六〇一)より幕府領であったが、元和五年(一六一九)旗本井上氏の所領となった。明暦三年(一六五七)再び幕府領となったが、天保一四年(一八四三)飯田藩領となり、弘化三年(一八四六)白河藩阿部氏領、慶応元年(一八六五)幕府領飯田藩預りとなった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by