日本歴史地名大系 「石田一鼎閑居跡」の解説 石田一鼎閑居跡いしだいつていかんきよあと 佐賀県:佐賀郡大和町下梅野山村石田一鼎閑居跡[現在地名]大和町大字梅野字下田下田(しもだ)の国道二六三号沿いの高台の上に祠が立っており、川上(かわかみ)川が一望できる位置にある。祠(「一鼎さん」とよばれ、勉学の神とされている)と石田一鼎夫妻の自然石の墓石があり、「梅山一鼎処士 円室貞因大姉」と刻まれている。石田一鼎は佐賀藩政初期鍋島勝茂・光茂に仕えた武士で、仏教・儒教に深い教養をもっていたが、その剛直さが原因で光茂に退けられ、松浦郡の山代(やましろ)(現伊万里市)に幽居したが、のち佐賀に戻り下田に閑居した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報