日本大百科全書(ニッポニカ) 「八東」の意味・わかりやすい解説
八東
はっとう
鳥取県東部、八頭郡(やずぐん)にあった旧町名(八東町(ちょう))。現在は八頭町の東部から南部を占める地域。旧八東町は1959年(昭和34)丹比(たんぴ)、八頭の2村が合併して町制施行。2005年(平成17)3月郡家町(こおげちょう)、船岡町(ふなおかちょう)と合併し、八頭町となる。若桜(わかさ)鉄道が通る。安井地区(やすいちく)は「右いせ道」の道標が残る播州(ばんしゅう)街道の旧宿場で、国道29号が通じる。八東川南岸の支谷上流には旧木地師(きじし)や落人(おちゅうど)の集落がある。東(ひがし)地区は1739年(元文4)に起きた元文大一揆(げんぶんだいいっき)(因伯一揆(いんぱくいっき))の発祥地で、一揆の首領東村勘右衛門(ひがしむらかんえもん)之碑がある。中世の若桜城主で、江戸時代は大庄屋(おおじょうや)であった矢部家住宅(17世紀初期)は国指定重要文化財。県の天然記念物清徳寺(せいとくじ)巨樹名木群(カゴ、モチなど)などのほか、平安末期の祈祷修験道(きとうしゅげんどう)の寺を物語る新興寺文書などがある。米作やネギ、シイタケ栽培のほか、ナシ、カキ、リンゴ、ブドウなど果樹栽培が盛んである。
[岩永 實]
『『八東町史』(1979・八東町)』