日本歴史地名大系 「石雲寺」の解説 石雲寺せきうんじ 宮城県:志田郡松山町千石村石雲寺[現在地名]松山町千石 大欅近世には松山郷の領主茂庭氏の足軽屋敷が連なっていた入町(いりまち)の南端にある。曹洞宗。竜門山と号し、本尊釈迦如来像。古くは積雲寺とも書いた。元亀二年(一五七一)鬼庭(のちの茂庭氏)左月良直が出羽国置賜(おきたま)郡川井(かわい)村(現米沢市)に創建した。良直の孫の茂庭周防良元が松山郷千石(せんごく)村に移ると、慶長一〇年(一六〇五)石雲寺を現在地に移し菩提寺とした。知行は三貫四〇文(「諸士前御知行帳」茂庭家文書)。石雲寺の地には松山庄の旧領主遠藤氏が応永一一年(一四〇四)創建した曹洞宗嶺松山万年(ばんねん)寺があったが、志田郡下中目(しもなかのめ)村(現古川市)に移った。石雲寺は柴田郡菅生(すごう)村(現村田町)の龍雲(りゆううん)寺、千石村の妙伝(みようでん)院、長尾(ながお)村の真源(しんげん)寺、大迫(おおばさま)村(現鹿島台町)の三古(さんこ)寺の四末寺があった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by