日本歴史地名大系 「砂場村」の解説 砂場村すなばむら 新潟県:糸魚川市砂場村[現在地名]糸魚川市砂場中河原(なかがわら)新田と早(はや)川を挟んで対する。北山(きたやま)村と角間(かくま)村の南。本村砂場のほか上角間・平林(たいらばやし)・三津屋(みつや)の集落からなる。上角間は天正年間(一五七三―九二)不動山(ふどうやま)城主山本寺孝長の家臣平内氏が帰農して中河原新田の猪平(いのひら)同様開拓した地という(西頸城郡誌)。当村周辺には薗田姓が多いが、不動山由来記によると、不動山城の武将に園田俊助の名があり、この園田氏にちなむものか(糸魚川市史)。慶長三年(一五九八)九月の頸城郡西浜早川組之内砂場村御検地帳があり、田高二五石一斗余・畠高五石九斗余・屋敷高二石八斗余で、小物成に青苧畠二貫五〇〇匁・上り綿五三匁がある。家数六・人数一〇(糸魚川市史)。 砂場村すなばむら 岡山県:岡山市旧上道郡地区砂場村[現在地名]岡山市砂場谷尻(たにしり)村の南東、砂(すな)川西岸に集落があり、西は草(くさ)ヶ部(べ)村。文禄四年(一五九五)の常楽寺寺領帳(常楽寺文書)に草部(くさかべ)(草壁)郷内として「砂場ノ上」とみえる。寛永備前国絵図では高二八四石余。「備前記」によると平場の集落で、「備陽記」では田畠一九町四反余、家数二七・人数一五九。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報