日本歴史地名大系 「祝神社」の解説
祝神社
ほうりじんじや
生魂命・健御名方命・八坂斗売命を合祀する。町民は「お諏訪さん」ともいう。創建年代は不詳。
「延喜式」神名帳に「屋代村
曰
日吉社
」「信友云 シカルヲ後松代ノ城下ノ社ニ祝神社号ヲウケ、日吉ヲバスヽキミヅノ神社トス」とある。なお明治一六年(一八八三)の「屋代村誌」に「寛延四年松代諏訪大明神の神官内山播磨なる者、神祇管領吉田家へ請願し、該諏訪大明神へ式内祝神社たるの神宣文を申請たり」とあり、江戸時代に祝神社となったとしている。社伝では、もと海津城二の丸付近にあったが、慶長一三年(一六〇八)松平忠輝の時現在地に移し社領一五〇石を寄進し、社殿を再建、元和五年(一六一九)酒井忠勝が入封に際し三〇石を加増す。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報