日本歴史地名大系 「神代滝観音」の解説
神代滝観音
こうじろたきかんのん
「玖珂郡志」は「神代滝観音者、比叡山草創伝教大師開基也、依住吉大明神霊夢、伝教大師詣住吉四社、於第四観音社、為通夜、及三更而開御戸、告大師謂、自此西方周州大島郡大畠鳴戸北浦之里、在長五丈滝、汝下此処、刻我形像、滝辺岩窟可安置焉、然則、現払病難、当導衆生、告已而終閉帳、依之、出大物浦、棹扁舟、着防之瀬戸北浦、折節有拘船一艘、大師尋於処、舟人答曰、大畠鳴戸、此浦北浦也、大師従船移岡、向深谷、遥遠見而命里人曰、此里者可名神代、我下斯所所以、依大明神託宣也矣、爰以至今世迄、カウジロトハ神代ト書クコト自此時始、(中略)大士形像、御長七寸而一刀三礼製作、開眼供養、滝辺岩窟安置、(中略)大師還行、自此諸人参詣如市」とその縁起を記す。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報