日本歴史地名大系 「神代村」の解説
神代村
かじろむら
現豊野町中央部を南北にわたり、北に延びて現牟礼村東部の一部を占める。東は
南部の山麓を東西に北国谷街道が石村境から浅野村境へ通じ、北部の平出村境から北国脇往還の脇道(神代道)が山地を南北に縦断、南部で谷街道と交差して中尾村境へ通ずる。そのほか、東部
神代村
こうじろむら
玖珂郡の東南端、南側は海を挟んで周防大島(屋代島)。江戸時代を通じて神代村と、その西南に続く大畠・
この辺りは平安時代末には神代保とよばれる国衙領として現れ、安元二年(一一七六)正月の周防今同名官物等結解目録(厳島神社野坂家文書)に「神代保官物結解二通在返抄五十五枚、神代保乃料結解二通在返抄七枚」「神代庁宣二通枚数十五枚」などと記される。この神代保という呼び方は中世後期まで続いたらしく、永正三年(一五〇六)改写の国衙諸郷図田帳(東大寺宝蔵文書)にその名がみえる。また「閥閲録」所収神代六左衛門家文書の天文二〇年(一五五一)二月一六日付大内義隆の書状写に「周防国大嶋郡神代保内六拾石(中略)神代千世寿丸可領知之状如件」ともある。
神代村
くましろむら
筑後川中流域左岸、
神代村
こうじろむら
神代村
こうじろむら
神代村
こうじろむら
神代川を挟んで両岸の段丘に集落が点在し、西は
神代村
かくみむら
神代村
こうじろむら
- 富山県:氷見市
- 神代村
氷見庄の南西部、
神代村
こうじろむら
神代村
かじろむら
神代村
こうたいむら
神代村
じんだいむら
神代村
じんだいむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報