神子柴村(読み)みこしばむら

日本歴史地名大系 「神子柴村」の解説

神子柴村
みこしばむら

[現在地名]南箕輪村神子柴

田畑(たばた)村の南、東は天竜川境、南は枝村の御園(みその)村(現伊那市)、西方は大萱(おおがや)村(現伊那市)に接する。天竜川に近い段丘上の村で、西方は経(きよう)ヶ岳のなだらかな扇状地。「長野県町村誌」の南箕輪村の項によれば、「古へ御腰場、中古御輿場と云ふ。後御子柴と改め、延宝六年神子柴と改む」とある。村名の初見は、天正一九年(一五九一)の信州伊奈青表紙之縄帳で、村高は「弐百七拾石弐斗五升弐合 御子柴」とある。

「上伊那誌」によれば、当村の孫市は文政六年(一八二三)、松本御役所へ「天竜通船百艘」の冥加永を願い出た。諏訪湖より遠州掛塚湊(かけづかみなと)までのこの計画に対して、中馬稼ぎや米穀の多量移出に影響することを案じて反対する村村が多かったが、同九年一二月ようやく認可を得た。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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