日本歴史地名大系 「神明寺村」の解説 神明寺村じみようじむら 兵庫県:赤穂郡上郡町神明寺村[現在地名]上郡町神明寺高田台(たかただい)与井(よい)村の北東、尾長谷(おながだに)村の南に位置し、北部山地の南裾に集落がある。古山陽道が通る。江戸時代の領主の変遷は上郡村に同じ。慶長国絵図に「慈明寺」とみえる。慶長一四年(一六〇九)池田輝政は当村のうち一六〇石を愛洲孫丞に宛行っている(「池田輝政家臣地方知行状」鳥取県立博物館蔵)。正保郷帳には神明寺とみえ、田高二七三石余・畠高九七石余。天保郷帳では高三七四石余。灌漑用の池が多い。真宗大谷派願栄(がんえい)寺、須賀(すが)神社がある。願栄寺は往古は宇治山神明寺と号し、聖徳太子の建立。本堂(観音堂)・太子堂・翁明神社・鐘楼・三重塔が、山内の坊舎として上宮(じようぐう)院・青林(せいりん)院・息徳(そくとく)院などがあり、近隣の貢納物はすべて同寺に収納したという(赤穂郡誌)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報