神明横町(読み)しんめいよこちよう

日本歴史地名大系 「神明横町」の解説

神明横町
しんめいよこちよう

[現在地名]函館市弥生町(やよいちよう)など

明治五年(一八七二)二月に一町として公認された町で(同年「御達留」市立函館図書館蔵、「事業報告」第一編)、近世には山ノ上(やまのうえ)町の小名であったと考えられる(「蝦夷日誌」一編)。神明社の南東縁を画する通りに沿い、片(かた)町の通りから上(山手)に向かい、天神(てんじん)町の通りを過ぎる辺りまでの一帯をいった。万延元年(一八六〇)箱館全図では、神明社境内の南東側の通りに「神明ヨコ丁」とある。この通り(坂道)は、近世には高龍(こうりゆう)寺裏で片町の通りに突き当たっていたが(同図など)、明治一二年に高龍寺が移転すると、旧境内地を貫いて海岸部まで通じ、坂を下りきった海岸地先を埋立てて、明治八年に幸(さいわい)町ができたので、現在は通称で幸坂とよばれている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ノーベルがスウェーデンアカデミーに寄付した遺産を基金とする世界的な賞。1901年以降行われ、毎年、物理学・化学・生理学および医学・文学・平和・経済学の6部門において、顕著な功績のあった人に授与される。...

ノーベル賞の用語解説を読む