日本歴史地名大系 「神瀬谷村」の解説
神瀬谷村
こうのせだにむら
北流する球磨川に沿った村としては、人吉藩領で最も北端に位置する。東は標高八二七・一メートルの
慶長国絵図に「神瀬村」として二三石九斗余、「神瀬の内 弓のまた 田なし」「神瀬の内 かぢまやしき 田なし」が記され、寛永一一年(一六三四)の郷村高辻帳に「神瀬谷」として、本田高二九石九斗余・新田畑高一五四石五斗余が記される。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
北流する球磨川に沿った村としては、人吉藩領で最も北端に位置する。東は標高八二七・一メートルの
慶長国絵図に「神瀬村」として二三石九斗余、「神瀬の内 弓のまた 田なし」「神瀬の内 かぢまやしき 田なし」が記され、寛永一一年(一六三四)の郷村高辻帳に「神瀬谷」として、本田高二九石九斗余・新田畑高一五四石五斗余が記される。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加