日本歴史地名大系 「神田仲町一丁目」の解説 神田仲町一丁目かんだなかちよういつちようめ 東京都:千代田区旧神田区地区神田仲町一丁目[現在地名]千代田区外神田(そとかんだ)一丁目神田花房(かんだはなぶさ)町の北側に南北に延びる御成道を挟む両側町。東は南から牛込肴(うしごめさかな)町代地・同袋(ふくろ)町代地・神田仲町三丁目、西は講武所付(こうぶしよつき)町屋敷、北は西から神田旅籠(かんだはたご)町一丁目・須田(すだ)町二丁目代地・神田花房町代地など。享保一〇年(一七二五)に収公された水野隼人正邸跡および本多唐之助邸跡が明地となり、借地として町屋になることとなった。同年この土地四千六一八坪は一五年で九千両を上納するという条件で町方に引渡された。水野邸跡地南方は地所請負人清六・五兵衛に預けられ筋違橋外請負(すじかいばしそとうけおい)屋敷と称したが、同一三年両名が上納金を納められないとして召上げられ、新たに請負人弥八・源蔵が同年より一五年で九千五五〇両を上納することで請負うこととなった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by