火除地(読み)ひよけち

精選版 日本国語大辞典 「火除地」の意味・読み・例文・類語

ひよけ‐ち【火除地】

〘名〙 火除けとしてあけておく空地江戸時代類焼を防ぎ、また、火事の際、避難する場所として設けられ、ふだんは種々の興行に利用された。
明良洪範(1688‐1704頃か)続「中橋広小路南風の時の御城の火除地なり」

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改訂新版 世界大百科事典 「火除地」の意味・わかりやすい解説

火除地 (ひよけち)

江戸の多発する火事に悩んだ幕府が,延焼防止のため設けた防火地帯の総称江戸城用のものを火除明地(ひよけあきち),一般市街地のものを広道または広小路(ひろこうじ)とも呼んだ。また広道に土手を築いた火除土手もあった。初期の江戸を全滅させた明暦の大火(1657)の前年に火除地の計画があったが,実現したのは大火の2ヵ月後からである。大火の多くは冬の乾燥期の北風のためだったので,北から南に延焼を防ぐため,火除明地は城の北西部に集中し,広小路,火除土手は主要市街地に東西方向に設けられた。最初の中橋,四日市,神田銀町のものが有名である。火除明地は幕府の薬園を兼ねたり,幕末になると武術の調練場に利用された。森鷗外の小説の題名にもなった護持院ヶ原(神田錦町)もその一つ。広小路は江戸期を通じて何回も改廃,新設が繰り返され,位置の移動も多かった。現在は〈上野広小路〉という地名が残るのが,火除地の唯一のなごりである。
代地(だいち)
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「火除地」の意味・わかりやすい解説

火除地
ひよけち

江戸時代、防火のために設けられた空き地。類焼防止のほか被災者の避難所ともなった。幕府は1657年(明暦3)の大火前より火除地を計画していたが、明暦(めいれき)の大火により急速に実行に移した。中橋広小路、両国広小路(ともに東京都中央区)などがこのとき出現した。その後とくに数多くの火除地を設けたのは享保(きょうほう)年間(1716~36)の中ごろまでである。町火消の制が整うに従い、火除地の廃止されるものが多くなった。

[南 和男]

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「火除地」の解説

火除地
ひよけち

近世都市に設けられた延焼防止のための防火帯。町方の火除地を広小路(ひろこうじ)ともいう。江戸では明暦の大火の直後に,湯島馬場の内など5カ所に設けられたのをはじめとする。江戸は冬季の北西風による大火が頻発したため,火除地の多くが江戸城の北西部に設けられた。火災後に焼跡を火除地とすることが多かったため,当該の町は代地(だいち)を与えられ,町ごと移転した。これを代地町という。

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百科事典マイペディア 「火除地」の意味・わかりやすい解説

火除地【ひよけち】

火事での延焼防止のために設けられた防火地帯。江戸幕府は多発する火事に悩んだが,1657年の明暦(めいれき)大火後に設置。江戸城用の火除明地,一般市街地には広道(ひろみち)・広小路(ひろこうじ),広道に土手を築いた火除土手として設置された。
→関連項目明暦の大火

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旺文社日本史事典 三訂版 「火除地」の解説

火除地
ひよけち

江戸中期,火災のとき延焼防止と避難のために設けられた空地
8代将軍徳川吉宗が1717年,護持院が焼けたときその焼地を火除地にあて,その後も柳原・佐久間町など市中の人家密集地域に大小の火除地を設置した。一般に焼地を火除地とすることが多かった。

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世界大百科事典(旧版)内の火除地の言及

【広小路】より

…近世の都市において,普通の街路よりも特に幅広くつくられた街路のこと。城下町など町制の行われた都市では,延焼防止のための防火帯である火除地(ひよけち)として設けられることが多い。地名として残る名古屋の広小路は1660年(万治3)の大火後に,町人地と武家地の境の街路を幅15間に拡張して作られた。…

※「火除地」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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