江戸の多発する火事に悩んだ幕府が,延焼防止のため設けた防火地帯の総称。江戸城用のものを火除明地(ひよけあきち),一般市街地のものを広道または広小路(ひろこうじ)とも呼んだ。また広道に土手を築いた火除土手もあった。初期の江戸を全滅させた明暦の大火(1657)の前年に火除地の計画があったが,実現したのは大火の2ヵ月後からである。大火の多くは冬の乾燥期の北風のためだったので,北から南に延焼を防ぐため,火除明地は城の北西部に集中し,広小路,火除土手は主要市街地に東西方向に設けられた。最初の中橋,四日市,神田銀町のものが有名である。火除明地は幕府の薬園を兼ねたり,幕末になると武術の調練場に利用された。森鷗外の小説の題名にもなった護持院ヶ原(神田錦町)もその一つ。広小路は江戸期を通じて何回も改廃,新設が繰り返され,位置の移動も多かった。現在は〈上野広小路〉という地名が残るのが,火除地の唯一のなごりである。
→代地(だいち)
執筆者:鈴木 理生
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
近世都市に設けられた延焼防止のための防火帯。町方の火除地を広小路(ひろこうじ)ともいう。江戸では明暦の大火の直後に,湯島馬場の内など5カ所に設けられたのをはじめとする。江戸は冬季の北西風による大火が頻発したため,火除地の多くが江戸城の北西部に設けられた。火災後に焼跡を火除地とすることが多かったため,当該の町は代地(だいち)を与えられ,町ごと移転した。これを代地町という。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
…近世の都市において,普通の街路よりも特に幅広くつくられた街路のこと。城下町など町制の行われた都市では,延焼防止のための防火帯である火除地(ひよけち)として設けられることが多い。地名として残る名古屋の広小路は1660年(万治3)の大火後に,町人地と武家地の境の街路を幅15間に拡張して作られた。…
※「火除地」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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