神辺宿本陣跡(読み)かんなべじゆくほんじんあと

日本歴史地名大系 「神辺宿本陣跡」の解説

神辺宿本陣跡
かんなべじゆくほんじんあと

本陣は川北村、三日市の尾道屋菅波家(西本陣)とその分家筋にあたる七日市の本荘屋菅波家(新屋、東本陣)が勤めた。尾道屋は、寛文年間(一六六一―七三)筑前福岡藩黒田家の本陣を勤めてから同家の専用本陣となったといわれ、一般には本荘屋が本陣を勤め、差支える時には黒田家以外の本陣も尾道屋が勤めたようである(菅波信道一代記)。

西本陣の規模は、敷地四反五畝余、棟数二七、土蔵六、湯殿六、門三、間数二一、畳数二〇〇余枚であった(天保三年「神辺宿西本陣見取図」菅波堅次氏蔵)。「菅波信道一代記」によると、嘉永七年四月二六日神辺宿に宿泊した黒田家の者は一千五〇〇人、万延二年(一八六一)三月の黒田家の通行総人数は五八〇人、藩主ら五四人が本陣に宿泊、その他は町屋八六軒に分宿している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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