神辺宿(読み)かんなべじゆく

日本歴史地名大系 「神辺宿」の解説

神辺宿
かんなべじゆく

[現在地名]神辺町川南川北

江戸時代の山陽道の宿駅。宿駅業務は川北かわきた村と川南かわみなみ村で行われたので両村を含めて神辺宿といった。宿の中心は本陣の置かれた川北の七日市なぬかいち三日市みつかいちであった。

古代の山陽道は神辺(川北・川南)を通ってはいなかったが、下って応安四年(一三七一)九州に下る今川了俊は、山陽道を南に折れて神辺を通過し、芦田あしだ川に沿って南下し、尾道を通る海沿いを進んでいる(道ゆきぶり)。おそらく、建武二年(一三三五)備後守護朝山氏が神辺に守護所を置き、城を築いたことによって、当地が政治・経済の中心地となり、山陽道も神辺を通るように変わっていったと考えられる。

天正一四年(一五八六)一二月一九日付毛利輝元書状(「譜録」所収二宮太郎右衛門家文書)に「関白(秀吉)様御下ならハ神辺にて御宿調候事」とみえる。翌一五年三月、島津氏討伐のため豊臣秀吉は大坂を発つが、それに先だって弟の秀長が神辺を通過した際のものと思われる二月日付安芸宰相(毛利元康か)代官宛の豊臣秀次書状(藤井料次郎氏蔵)に、「御陣へ御用之節継飛脚之事、何時も御朱印次第備後之神辺より同三原まで早速可相届旨堅可申付候也」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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