…大分県北部,下毛郡本耶馬渓町大字曾木字青にある耶馬渓の名勝の一つで,競秀峰崖下にある洞穴道。18世紀中ごろ僧禅海が〈鎧渡し〉と呼ばれていた難所に独力でつくったもので,このことは菊池寛の小説《恩讐(おんしゆう)の彼方に》(1919)によって広く知られた。《豊前志》によると1735年(享保20)開削を始め,16年の歳月を要して50年(寛延3)に開通したという。…
…とくに彼が87年に鎌倉桑ヶ谷に造立した桑谷療病所においては,20年の間に病が治った者4万6000人,死者1万0450人と,治療を受けた者の5分の4が治癒したと伝えられている。忍性は94年(永仁2)には四天王寺の別当ともなり,同寺の悲田院をも再興したといわれているが,これは叡尊の他の弟子で,四天王寺における西大寺流律宗の拠点ともいえる薬師院の長老であった観心房禅海(生没年未詳)と計って行ったものであろう。禅海は叡尊が1275年(建治1)に清水坂非人に施行をした際にこれに随行し,非人873人に受戒をした人物である。…
※「禅海」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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