禅海(読み)ぜんかい

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「禅海」の解説

禅海(1) ぜんかい

1687-1774 江戸時代中期の僧。
貞享(じょうきょう)4年生まれ。江戸浅草の六十六部(霊場をめぐる僧)。豊前(ぶぜん)耶馬渓(やばけい)(大分県)の羅漢寺参詣(さんけい)路の山国川に面した断崖難所にトンネル開削をおもいたち,約30年をかけて寛延3年完成させた(青の洞門)。菊池寛の「恩讐(おんしゅう)の彼方に」の主人公のモデル。安永3年8月24日死去。88歳。越後(えちご)(新潟県)出身。号は真如庵。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

関連語 一路庵禅海

世界大百科事典(旧版)内の禅海の言及

【青ノ洞門】より

…大分県北部,下毛郡本耶馬渓町大字曾木字青にある耶馬渓の名勝の一つで,競秀峰崖下にある洞穴道。18世紀中ごろ僧禅海が〈鎧渡し〉と呼ばれていた難所に独力でつくったもので,このことは菊池寛の小説《恩讐(おんしゆう)の彼方に》(1919)によって広く知られた。《豊前志》によると1735年(享保20)開削を始め,16年の歳月を要して50年(寛延3)に開通したという。…

【慈善事業】より

…とくに彼が87年に鎌倉桑ヶ谷に造立した桑谷療病所においては,20年の間に病が治った者4万6000人,死者1万0450人と,治療を受けた者の5分の4が治癒したと伝えられている。忍性は94年(永仁2)には四天王寺の別当ともなり,同寺の悲田院をも再興したといわれているが,これは叡尊の他の弟子で,四天王寺における西大寺流律宗の拠点ともいえる薬師院の長老であった観心房禅海(生没年未詳)と計って行ったものであろう。禅海は叡尊が1275年(建治1)に清水坂非人に施行をした際にこれに随行し,非人873人に受戒をした人物である。…

※「禅海」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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