デジタル大辞泉
「山国川」の意味・読み・例文・類語
やまくに‐がわ〔‐がは〕【山国川】
大分県北西部を流れる川。英彦山に源を発し、耶馬渓を形成して、福岡との県境で周防灘に注ぐ。長さ56キロ。
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やまくに‐がわ‥がは【山国川】
- 大分県北西部を流れる川。古くは御木(みけ)川と呼ばれた。英彦(ひこ)山の南側に発し、中津平野で周防灘に注ぐ。溶岩台地を浸食して名勝耶馬渓を形成。長さ五六キロメートル。
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山国川
やまくにがわ
英彦山の東麓、大分県下毛郡山国町を水源とする一級河川。流路延長は約五六キロ、流域面積は約五四〇平方キロ。現在の下毛郡域を流れ、同郡三光村と築上郡大平村の境付近からは福岡県と大分県の県境をなし、吉富町と大分県中津市の境で周防灘に注ぐ。大分県域の山国川流域一帯は国指定名勝の耶馬渓として知られる。「日本書紀」景行天皇一二年九月五日条にみえる御木川を山国川にあてる説がある。中世には下流域は中津川と称されていたようで、年月日未詳の某覚書案(到津文書/大分県史料二四)によると、永禄一二年(一五六九)閏五月二一日に上毛郡内で大友氏と毛利氏の合戦があり、翌日「中津河」に毛利方の警固舟が約一〇〇艘着岸し、沿岸の小今井などが焼払われた。
山国川
やまくにがわ
英彦山に源流があり、長さ五五キロ、中津市の西端で周防灘に注ぐ。支流は一九あり、金吉川・津民川・山移川・跡田川・屋形川などがおもな支流で、いたるところ深い渓谷をなし、頼山陽が耶馬渓と称した(中津市史)。「日本書紀」景行天皇一二年九月条にみえる御木川は、この川のことと考えられている。中世は中津川、近世は高瀬川または広津川といった。貝原益軒は「豊国紀行」に「高瀬川は此村の辺りにあり。故に名付く。此川、下毛郡のおく山国より流出、其源、彦山の東より来る大河なり。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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山国川 (やまくにがわ)
大分県北部の川。大分・福岡県境の英彦(ひこ)山に発して南東流し,中津市守実で北東に流れを転じる。以後,津民(つたみ)川,山移(やまうつり)川,跡田川などの支流を集め,河口近くで右岸に中津川を分流し,周防灘に注ぐ。幹川流路延長56km,全流域面積540km2。下流は大分・福岡県境をなす。《日本書紀》景行天皇条にみえる御木(みけ)川は山国川であるとされ,近世には高瀬川と呼ばれていた。中・上流域一帯は耶馬渓(やばけい)層が厚く堆積した耶馬渓溶岩台地で,これを山国川の本・支流が深く浸食し,名勝耶馬渓をつくった。
下流には,肥沃な中津平野がつくられている。本流と分流にはさまれた河口の三角州(小祝島)は,もとは左岸の小犬丸地区(現,福岡県)と地続きであったが,たび重なる洪水で一条の川ができ,1655年(明暦1)の大洪水で完全に切れたという(宝暦年間(1751-64)という説もある)。この分流はさらに1889年の大洪水で新たに本流となり,砂礫に埋まった旧本流(現,中津川)が分流となった。山国川から取水する灌漑用水路は多いが,なかでも青ノ洞門近くの荒瀬井堰と中津市の大井手堰は,ともに中津平野を灌漑する大井堰で,前者は中津平野南部の洪積台地の下毛原(しもげばる)を,後者は中津平野東部の沖積低地沖代平野をうるおす。
執筆者:勝目 忍
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
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山国川
やまくにがわ
大分県北西部を流れる川。全長 56km。英彦山東部に発して南東流し,中津市山国の守実付近で北東流,下流部は福岡県との県境をなし,周防灘に注ぐ。上・中流域で耶馬渓溶岩台地を浸食し,名勝耶馬渓をつくる。下流域では洪積台地を浸食し,沖積平野を形成している。鉄道が開通するまでは木材の運搬に利用されていた。川沿いには国道 212号線が走っている。耶馬日田英彦山国定公園に属する。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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山国川
やまくにがわ
大分県北西部を流れる川。英彦(ひこ)山に源を発し、広い溶岩台地を侵食して名勝耶馬渓(やばけい)を形成し、中津平野に出ると、福岡・大分県境をなして、周防灘(すおうなだ)に注ぐ一級河川。延長56キロメートル、流域面積540平方キロメートル。上・中流域には林業が盛ん。約3000ヘクタールの水田を灌漑(かんがい)している。洪水調節、工業・上水道用水を目的とする耶馬渓ダムが、中津(なかつ)市耶馬渓町(やばけいまち)柿坂(かきざか)の山移(やまうつり)川(支流)に1985年(昭和60)完成。本流に沿って国道212号が走る。
[兼子俊一]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の山国川の言及
【豊前国】より
…耶馬渓には僧禅海が30年の歳月をかけて完成した青ノ洞門がある。河川交通では遠賀川の支流の彦山川が田川郡の経済の動脈の役割を果たし,米,石炭その他の貨物を運ぶ船が上下し,山国川も幕末には幕府領,中津領の年貢米の輸送に利用された。 18世紀後半以降は農村の荒廃が進んだ。…
※「山国川」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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