県北西部、
台地の基盤となるのは変朽安山岩層(宇佐層群とよばれ、金鉱を含む。山国町草本の旭金山は著名)と、これを不整合に覆う瀬戸内系とみられる古銅輝石安山岩からなる溶岩丹頂丘(木ノ子岳・鹿熊岳などに代表される)で、さらにこれらを耶馬渓層が覆う。場所によって後期更新世に噴出した耶馬渓溶岩と複輝石安山岩溶岩がそれぞれ上層・最上層を形成している。耶馬渓層は角礫凝灰岩からなり、選択浸食されやすいため急崖・奇峰・石門などの地形をつくるのに対し、耶馬渓溶岩層は縦に長い柱状節理が発達し、大きな岩柱が林立する風景をつくり出す。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
大分県北西部,山国川の中・上流域一帯の渓谷。この地域は,形成の時期を異にする豊肥火山活動期の溶岩(耶馬渓溶岩)が幾重にも堆積した日本最大の溶岩台地であり,これを山国川の本・支流が深く浸食して,独特な地形を展開している。山国川本・流筋は本耶馬渓と呼ばれ,凝灰角レキ岩からなる耶馬渓層が卓越する。浸食によって急崖,岩柱,奇峰,石門などの見られる旧耶馬渓式風景を作り出している。青ノ洞門の見られる名勝競秀峰(きようしゆうほう)はその代表的なもので,他にも賢女ヶ岳(けんによがたけ),朝天峰,七仙巌(しちせんがん)などがある。また名刹羅漢寺のある跡田川の谷は羅漢寺耶馬渓といわれる。
一方,支流山移(やまうつり)川の上流域一帯を深(新)耶馬渓,金吉川上流域一帯を裏耶馬渓と称するが,これらの地域には太い縦の柱状節理をもった新耶馬渓溶岩が卓越し,その浸食が作られ岩柱の林立する風景が見られる。一目(ひとめ)八景や立羽田(たちはだ)の景などの名勝が代表的なものである。本耶馬渓奥の守実(もりざね)温泉の上流部は奥耶馬渓と呼ばれ,猿飛の欧穴(おおけつ)群(天)などの名勝があるが,交通不便なため開発が進んでいない。また,両輝石安山岩からなる硬い溶岩層で覆われたところでは,日本では他に例がないほど数多くのメーサやビュートが見られ,メーサの大岩扇(だいがんせん)山(691m)やビュートの鷹巣山(979m)はともに天然記念物に指定されている。植物の種類も多く変化に富んでおり,犬ヶ岳ツクシシャクナゲ自生地(天),本耶馬渓のシシツツジ自生南限群落,檜原(ひばる)山の千本カツラ,戸原のイチイガシなどがある。耶馬渓は,頼山陽の詩文によって知られるようになり,1950年に耶馬日田英彦山国定公園の指定を受けた。秋の紅葉はとくにすばらしく,多くの観光客が訪れる。
執筆者:勝目 忍
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
大分県北西部の耶馬渓溶岩台地を山国川(やまくにがわ)、駅館川(やっかんがわ)などが刻んでつくった渓谷。岩石美、森林美、渓流美がよく調和した点に特色がある。頼山陽(らいさんよう)の筆によって世に出た、山国川本流の本(ほん)耶馬渓や跡田(あとだ)川の羅漢寺(らかんじ)渓などは、集塊岩を基調とした旧耶馬渓式風景で、直立した節理と、もろくて不均質な層理に沿って侵食がなされたために、奇岩秀峰に富む。羅漢寺と、菊池寛の『恩讐(おんしゅう)の彼方(かなた)に』で知られる青ノ洞門(あおのどうもん)の一帯が有名である。山国川支流、山移(やまうつり)川の谷の深(しん)耶馬渓や、金吉(かなよし)川の谷の裏(うら)耶馬渓などは、集塊岩より硬く均質な構造を有する新耶馬溶岩のつくった新耶馬渓式風景で、洞窟(どうくつ)・洞門は生じにくいが、節理に沿って風化・侵食が行われ、直立の岩壁や石柱の林立をみせる。台地端には東椎屋ノ滝(ひがししやのたき)、福貴野ノ滝(ふきののたき)、竜門ノ滝(りゅうもんのたき)などの瀑布(ばくふ)景観もある。植物景観も優れ、標高800メートルくらいまで暖帯林、その上が針葉樹を交えた広葉樹の温帯林で、諸所にツクシシャクナゲを下木とするブナ純林を含むが、奥耶馬渓一帯がそれである。新緑と紅葉期に観光客が多い。別府(べっぷ)北浜、中津駅、豊後森(ぶんごもり)駅から定期観光バスが出る。
[兼子俊一]
大分県北西部、下毛(しもげ)郡にあった旧町名(耶馬渓町(まち))。現在は中津市(なかつし)の中央部にあたる地域。1965年(昭和40)町制施行。2005年(平成17)中津市に編入。旧町名は名勝耶馬渓にちなむ。国道212号が通じる。耶馬渓溶岩台地の一部で、山国(やまくに)川とその支流山移(やまうつり)川・金吉(かなよし)川・津民(つたみ)川の谷底平野の米作、林業とシイタケ栽培が主産業。町域の大部分は耶馬日田英彦山国定公園(やばひたひこさんこくていこうえん)に含まれる。山移川に深(しん)耶馬渓、金吉川に裏耶馬渓、津民川に津民耶馬渓がある。深耶馬渓に鴫良(しぎら)・深耶馬渓、裏耶馬渓に伊福(いふく)の温泉がある。
[兼子俊一]
『『耶馬渓町史』(1975・耶馬渓町)』
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出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
…大分県北部,下毛郡本耶馬渓町大字曾木字青にある耶馬渓の名勝の一つで,競秀峰崖下にある洞穴道。18世紀中ごろ僧禅海が〈鎧渡し〉と呼ばれていた難所に独力でつくったもので,このことは菊池寛の小説《恩讐(おんしゆう)の彼方に》(1919)によって広く知られた。…
…長崎三角帯にあたる北部は新旧の火山活動による溶岩類が累積して形成されたところで,次の三つに大別できる。(1)阿蘇火山の外輪山とその火砕流の堆積した大野川流域,(2)豊肥火山活動による広大な溶岩台地が形成され,のち浸食されて溶岩台地削剝地形(メーサ,ビュート)の展開する日田,玖珠から耶馬渓地方,(3)両者の間に展開する山陰系の火山である両子(ふたご)山,文珠山(ともに国東(くにさき)半島),鶴見岳,由布岳,九重山などのある地帯。このように大分県の地形は,山地や高原が広く,これらを四周から筑後川の上流,大野川,大分川,山国川などの河川が浸食して,複雑な地形区をなしている。…
…豊前国は九州の玄関口に当たっていたので小倉,田野浦(門司)は九州と上方を結ぶ瀬戸内海航路の船の発着場となり,多くの貨物が出入りし,参勤交代の大名や商人,文人が往来した。陸上交通では小倉を起点として長崎街道,豊後街道が通じるほか,小倉から香春,後藤寺,猪膝を経て筑前南部や豊後日田に通ずる街道,中津から耶馬渓を経て日田に至る街道,行事と田川を結ぶ街道などがあった。耶馬渓には僧禅海が30年の歳月をかけて完成した青ノ洞門がある。…
※「耶馬渓」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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