日本歴史地名大系 「福里新田」の解説 福里新田ふくさとしんでん 岡山県:邑久郡長船町福里新田[現在地名]長船町福里西流する干田(ほした)川沿いの平地にある新田村。北は新庄(しんじよう)村(現備前市)、南は上笠加(かみかさか)村(現邑久町)。「備陽国誌」では、古名を馬塚(まつか)とし、「東備郡村志」によれば、村南部の桂(かつら)山麓にある馬塚という古塚に由来するというが確かでない。馬塚は「源平盛衰記」にみえる海佐介の墓といわれる。新田開発の時期は明らかでなく、「古備温故秘録」に「御移封已前」とあることによると、寛永九年(一六三二)の池田光政岡山入封前に、いくぶんかの開発が行われていたと思われる。寛文四年(一六六四)の備前備中古新田帳には福里村とみえ、高一千七六七石余とある。しかし正保郷帳および宝永五年(一七〇八)の岡山藩領郷村高辻帳には当村の記載はない。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by