福雄庄(読み)ふくおのしよう

日本歴史地名大系 「福雄庄」の解説

福雄庄
ふくおのしよう

現分水町を中心に、南蒲原郡中之島なかのしま村・見附みつけ市の一部を含み、信濃川両岸の沖積平野に展開していた庄園。「吾妻鏡」文治二年(一一八六)三月一二日条所載の乃貢未済庄々注文に「上西門院御領福雄庄」とみえる。上西門院鳥羽天皇の第二皇女統子であるから、この庄の成立は鳥羽院政期であろう。次いで貞応三年(一二二四)の宣陽門院(覲子内親王)所領目録(島田文書)には「新御領自上西門院被進之」のなかに福雄庄がみえる。宣陽門院は後白河天皇第六皇女で、その莫大な所領は承久の乱の際鎌倉幕府に没収され、貞応三年には当庄などが返進されていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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