禹稷(読み)うしよくびよう

日本歴史地名大系 「禹稷」の解説

禹稷
うしよくびよう

[現在地名]臼杵市家野

臼杵川の中流域左岸河岸段丘上の南東端、まつはなにある五穀豊穣を願う廟。度重なる水難蝗害旱魃などに苦しめられてきたことから、元文五年(一七四〇)九代藩主稲葉泰通の時、禹と后稷を祀り災厄除けを願って建立された。基壇上に立てられた縦長の自然石には碑文が陰刻されており、外屋はない。禹は黄河の水を治めたという中国夏王朝の開祖とされる伝説上の聖王であり、后稷は周の始祖といわれる伝説上の人物で、農耕に貢献、転じて五穀の神をさす。「臼杵小鑑」には「今の平清水川、古へは望月台の下を流る。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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