中国古代の神話にみえる農業神。周王朝の始祖とされる。その出生について,母の姜嫄(きようげん)が大人の足あとをふんで妊(はら)んだという感生帝説話があり,《詩経》大雅・生民に歌われている。足あとを践(ふ)むのは舞踏の形式とも,また神衣を着けて神位に座息するとする説もある。神異の子であるので棄(き)と名づけ,いくども棄(す)てられたが,そのたびに奇瑞によって救われた。稷の字形は穀霊を形代(かたしろ)にした形で,農業神を示す。后稷のとき嘉禾(かか)をえたという伝承があり,屈家嶺(くつかれい)文化(屈家嶺遺跡)に近いその地に,早くから良種がもたらされたのであろう。《書経》尭典・呂刑(りよけい)に后稷播種のことがみえる。《山海経(せんがいきよう)》海内経に死して都広の野に葬られたが,そこには菽(まめ),稲,黍,稷など百穀が生じ,鸞鳳が舞い歌う楽園とされている。また崑崙を南に望む〈帝の平圃(へいほ)〉に后稷がひそむという。《淮南子(えなんじ)》墜形訓(ちけいくん)に蘇(よみがえ)る神で半ば魚形であるというのは,農耕神に洪水神の性格が加わったものであろう。
執筆者:白川 静
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…尭のあとを継いだ舜帝は,かわって禹に治水を命じた。禹は益(えき)や后稷(こうしよく)などの部下とともに天下を経めぐって水を導き,農業などの産業を整備した。このときの記録が《尚書》禹貢篇に編まれたとされる。…
…前1050?‐前256年。《史記》によると,尭帝の農官であった后稷(こうしよく)が始祖とされる。后稷の15世後の子孫の武王が,前1050年ころ殷王帝辛(紂王)を牧野(河南省淇県)で破り,殷を倒して,王朝を創設した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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