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后稷 こうしょくHou-ji

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

后稷
こうしょく
Hou-ji

中国,周王朝の伝説的祖先。農業神。姓は姫。名は棄。姜原 (きょうげん) が巨人の足跡を踏んではらみ生れたので (感生説話) ,不祥としてたびたび棄てられたが,そのたびに助けられた (棄子説話) 。

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デジタル大辞泉の解説

こう‐しょく【后×稷】

中国古代の官名で、農事をつかさどる長官。
中国、王朝の始祖とされる伝説上の人物。姓は姫(き)、名は棄(き)。母親の姜原(きょうげん)が巨人の足跡を踏み、妊娠して生まれたといわれる。農耕を好み、舜(しゅん)のときとなったという。

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世界大百科事典 第2版の解説

こうしょく【后稷 Hòu jì】

中国古代の神話にみえる農業神。周王朝の始祖とされる。その出生について,母の姜嫄(きようげん)が大人の足あとをふんで妊(はら)んだという感生帝説話があり,《詩経》大雅・生民に歌われている。足あとを践(ふ)むのは舞踏の形式とも,また神衣を着けて神位に座息するとする説もある。神異の子であるので棄(き)と名づけ,いくども棄(す)てられたが,そのたびに奇瑞によって救われた。稷の字形は穀霊を形代(かたしろ)にした形で,農業神を示す。

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大辞林 第三版の解説

こうしょく【后稷】

〔「后」は君、「稷」は五穀〕 中国、周王朝の始祖とされる伝説上の人物。姓は姫、名は棄。母が巨人の足跡を踏んでみごもり、生まれてすぐに棄てられたので棄という。舜しゆんにつかえて人々に農業を教え、功により后稷(農官の長)の位についた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

后稷
こうしょく

中国古代、周王朝の始祖とされる人物。『史記』周本紀によれば、有(ゆうたい)氏の娘で帝(こう)の妃(ひ)であった姜原(きょうげん)が、野で巨人の足跡を踏んでみごもり、産んだのが后稷といわれる。中国古代における感生説話の一例とされる。また后稷は農耕を教えたといわれ、農業神ともされる。これについては、周族が、周原に初めて定住したとき、土着の姜姓の女との間に生まれたのが后稷で、彼らより農業を学んだことが、このような伝説の生因になったとする説がある。[松丸道雄]
『岡崎文夫著『古代支那史要』(1944・弘文堂書房)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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世界大百科事典内の后稷の言及

【禹】より

…尭のあとを継いだ舜帝は,かわって禹に治水を命じた。禹は益(えき)や后稷(こうしよく)などの部下とともに天下を経めぐって水を導き,農業などの産業を整備した。このときの記録が《尚書》禹貢篇に編まれたとされる。…

【周】より

…前1050?‐前256年。《史記》によると,尭帝の農官であった后稷(こうしよく)が始祖とされる。后稷の15世後の子孫の武王が,前1050年ころ殷王帝辛(紂王)を牧野(河南省淇県)で破り,殷を倒して,王朝を創設した。…

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