称名寺跡(読み)しようみようじあと

日本歴史地名大系 「称名寺跡」の解説

称名寺跡
しようみようじあと

[現在地名]川内市向田町 日暮

隈之城くまのじよう川の東岸、日暮ひぐらしにあった時宗寺院。川内山福寿院と号し、本尊阿弥陀如来。遊行七世託阿の開基と伝える。島津貞久(道鑑)の長男宗久(久阿弥陀仏、称名寺殿)は暦応三年(一三四〇)一月二四日向田むこうだで落馬して死んだ。その場所は「ほつかひ島」といい、廟が建てられ、さらに一寺を菩提寺として建立し、法昌山称名寺と号したという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む