島津師久(読み)しまづ もろひさ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「島津師久」の解説

島津師久 しまづ-もろひさ

1325-1376 南北朝時代武将
正中(しょうちゅう)2年生まれ。島津貞久(さだひさ)の3男。足利尊氏に属し,北朝方としてたたかう。貞治(じょうじ)2=正平(しょうへい)18年薩摩(さつま)守護職をつぎ,総州家島津氏初代。大隅(おおすみ)守護職をつぎ奥州家島津氏初代となった弟氏久とともに島津氏6代。領国は二分された。永和2=天授2年3月21日死去。52歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の島津師久の言及

【薩摩国】より

…旧国名。薩州。鹿児島県西半部。
【古代】
 西海道に属する中国(《延喜式》)。大隅国と同じく日向国より分出し,合わせて南九州の三国,奥三州などと呼ばれた。《日本書紀》白雉4年(653)7月条に〈薩麻之曲竹島之間〉とみえ,《続日本紀》大宝2年(702)8月条に薩摩・多褹(たね)を征討し,戸を校(かんが)え吏を置く,10月条に唱更(はやひと)国司の言上で国内の要害に柵を建て兵を置くとあり,その説明に唱更国とは今の薩摩国府なりとあることから,このころ薩摩国は日向国より分出設置されたと思われる。…

※「島津師久」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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