朝日日本歴史人物事典 「島津師久」の解説
島津師久
生年:正中2(1325)
南北朝時代の薩摩国(鹿児島県)守護。貞久の子。上総介。父貞久から貞治2/正平18(1363)年に同守護職を譲られたが,それ以前からも高齢の父を助けて軍事指揮に携わっていた。中央の観応の擾乱が波及すると九州の武家方にあって将軍足利尊氏方として行動,和泉荘知色城,薩摩郡碇山城を拠点とした。しかし所領は山門院,薩摩郡が中心で,鹿児島郡への進出はならなかった。それがやがて,島津氏の家督を巡る抗争のなか,大隅国(鹿児島県)守護島津氏久(奥州家)に敗北していった要因と考えられる。守護在任3年にして守護職を子の伊久に譲渡している。<参考文献>山口隼正「薩摩国守護」(『南北朝期九州守護の研究』)
(福島金治)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報