改訂新版 世界大百科事典 「島津家文書」の意味・わかりやすい解説
島津家文書 (しまづけもんじょ)
島津家重代相伝の中・近世の文書。現在東京大学史料編纂所蔵。量質とも日本における武家文書の随一といわれ,源頼朝関係の古文書を含む始祖忠久以来の諸職の補任状,家督継承の文書,所領の譲状,諸将間の往復文書等をはじめ,15代島津貴久以降,本宗をついだ伊作島津家の文書その他,一族,他姓の重臣町田,樺山,比志島,禰寝(ねじめ),二階堂等の諸家文書,台明寺文書,福昌寺文書等の寺院文書を収めており,内容はきわめて豊富。平安時代より江戸時代に至る日本封建制研究の好史料である。島津家では近世初期以来,文書奉行,記録奉行等担当のもとに史料の収集,家史編纂が行われ,併せて文書の整理,成巻,補修が実施されてきた。なかでも28代斉彬代の記録奉行伊地知季安の尽力は大きい。相伝文書の主体は1537年(天文6)14代勝久が鹿児島清水城を退去,大隅・日向へ移動するとともに携帯したらしく,大半はその子孫亀山・藤野家に伝えられていたが,貴久の子16代義久と17代義弘,18代家久,19代光久の代に逐次回収され,まとまった文書として重書目録が作成され,代々相伝されることになったと思われる。1696年(元禄9)の鹿児島城罹災では領内より収集した多数の文書を焼失した。その後重要文書は主として城内御番所に置かれていたが,1871年(明治4)以降廃藩置県により六ヶ所蔵に収納された。77年の西南戦争の際,家令東郷重持らが危険を冒して搬出,かろうじて焼失を免れた。この際別に築地茶屋に収納されていた分は全焼したという。のち東京袖ヶ崎島津邸に移送,一部は磯島津邸に保存された。《大日本古文書》所収。
執筆者:五味 克夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報