稲主神社(読み)いなぬしじんじや

日本歴史地名大系 「稲主神社」の解説

稲主神社
いなぬしじんじや

[現在地名]北方町大字志久

現北方町役場前の丘陵上にある。祭神倉稲魂命、木元夕路木父子。神体として木彫りの束帯男子像一一体と装束女子像三体の計一四体が安置されている。この木像がどのような神であるかは不明。旧郷社。宝治元年(一二四七)武雄領主後藤清明の創建とされ、清明は創建と同時に二一七石を知行として与えたといわれる。

伝説によれば、鎌倉時代初め志久しく村の夕路木ゆろき谷に隠れ住んでいた木元夕路木は、もと大内守護職(禁裏守護番)右馬頭源頼茂といったが、政権を奪い返そうとする後鳥羽上皇から討手をかけられ、九州に逃れ、志久村に隠棲したという。その頃、九三把の紅稲とうぼしが盗まれ、代官は木元を犯人として捕らえたが、自白しなかった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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