稲富稜人(読み)イナトミ タカト

20世紀日本人名事典 「稲富稜人」の解説

稲富 稜人
イナトミ タカト

大正・昭和期の農民運動家,政治家 元・衆院議員。



生年
明治35(1902)年10月19日

没年
平成1(1989)年11月6日

出生地
福岡県八女郡岡山村(現・八女市)

学歴〔年〕
早稲田大学政経学部〔大正14年〕卒

主な受賞名〔年〕
勲二等瑞宝章〔昭和47年〕,勲二等旭日重光章〔昭和52年〕,勲一等瑞宝章〔昭和61年〕

経歴
代用教員を経て早大に進学し、農民運動に入る。大正15年全日本農民組合同盟を結成し、日本農民党に参加。のち社会民衆党に参加し、昭和7年日本国家社会党を支持し、10年福岡県議に当選戦後、21年社会党から衆院議員となったが公職追放、27年改めて衆院議員に当選。通算11期つとめ、61年引退した。その間、衆院懲罰委員長、民社党中央執行委員などを歴任

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「稲富稜人」の解説

稲富 稜人
イナトミ タカト


肩書
元・衆院議員

生年月日
明治35年10月19日

出生地
福岡県八女郡岡山村(現・八女市)

学歴
早稲田大学政経学部〔大正14年〕卒

経歴
代用教員を経て早大に進学し、農民運動に入る。大正15年全日本農民組合同盟を結成し、日本農民党に参加。のち社会民衆党に参加し、昭和7年日本国家社会党を支持し、10年福岡県議に当選。戦後、21年社会党から衆院議員となったが公職追放、27年改めて衆院議員に当選。通算11期つとめ、61年引退した。その間、衆院懲罰委員長、民社党中央執行委員などを歴任。

受賞
勲二等瑞宝章〔昭和47年〕 勲二等旭日重光章〔昭和52年〕 勲一等瑞宝章〔昭和61年〕

没年月日
平成1年11月6日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「稲富稜人」の解説

稲富稜人 いなとみ-たかと

1902-1989 大正-昭和時代の農民運動家,政治家。
明治35年10月19日生まれ。大正15年平野力三らと全日本農民組合同盟を結成し,小作争議を指導する。のち日本農民組合と社会民衆党系に属す。戦後は社会党,さらに民社党の結成に参加した。昭和21年衆議院議員(当選11回)。平成元年11月6日死去。87歳。福岡県出身。早大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

大臣政務官

各省の長である大臣,および内閣官房長官,特命大臣を助け,特定の政策や企画に参画し,政務を処理する国家公務員法上の特別職。政務官ともいう。2001年1月の中央省庁再編により政務次官が廃止されたのに伴い,...

大臣政務官の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android