稲庭城跡(読み)いなにわじようあと

日本歴史地名大系 「稲庭城跡」の解説

稲庭城跡
いなにわじようあと

[現在地名]稲川町稲庭 梺

ふもと集落の東、大森おおもり(七〇四メートル)の西山腹に位置する。比高約六〇メートルの地に本丸を構え周辺に空堀をもつ山城で、眼下湯沢ゆざわ(現湯沢市)から小安おやす(現皆瀬村)を経て仙台藩領に至る脇街道が通る。

鎌倉後期の築城ともいい、稲庭城主小野寺家系(小野寺氏研究資料)には大永五年(一五二五)小野寺中将植道の次男弥次郎晴道(初名道俊)が足利将軍義晴の命により稲庭城主の家督を継いだとある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

関連語 支城 大森

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android