稲毛川崎二ヶ領用水(読み)いなげかわさきにかりようようすい

日本歴史地名大系 「稲毛川崎二ヶ領用水」の解説

稲毛川崎二ヶ領用水
いなげかわさきにかりようようすい

多摩たま川の右岸橘樹たちばな郡稲毛領と川崎領の二ヵ領を貫流する全長約三二キロの用水路。稲毛川崎用水・川崎用水・二ヶ領用水ともいう。慶長二年(一五九七)小泉次大夫吉次を用水奉行として多摩川右岸の二ヵ領と左岸六郷ろくごう(現東京都)の用水路開削が命じられた。小杉こすぎ(現中原区)と多摩郡和泉いずみ(現東京都狛江市)に吉次の陣屋が設置され、二月より巡検・杭打ちが始められ、同四年一月には本格的な開削工事に着手、同一四年七月掘割の幹線工事が完成した。同一五年に前年完成の新用水堀から各耕地への分水堀が開削され、同一六年六郷用水を含めすべての工事を終えている(新用水堀定之事)

多摩川の水を府中ふちゆう中野島なかのしま村字大川原おおかわら(現多摩区)の取入口から引水し、久地くじ(現高津区)に設けられた分量樋で根方ねかた用水・川崎領三十三かわさきりようさんじゆうさんそん用水・川辺六かわべろつそん用水・久地溝口くじみぞのくち用水の四筋に分け諸村へ分水する。寛永六年(一六二九)関東郡代伊奈忠治の手代が用水を検分し宿河原しゆくがわら(現多摩区)取入口を新設(稲毛川崎二ヶ領用水事績)、享保九年(一七二四)には田中丘隅が幕命により水路を改修している(川崎市史)。灌漑水田面積は初期には一千八七六町余(稲毛川崎二ヶ領用水事績)、享保二年の二ヶ領用水組合村高反別改帳(横浜市添田文書)によれば稲毛領三七ヵ村一千五六町三反余、川崎領二三ヵ村九五一町余に及んだ。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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