…大坂落城の直後,外孫松平忠明を大坂城に入れ(10万石),大坂の戦災復興,新しい町づくりにとりかからせた。ついで内藤信正を高槻に入れ(4万石),翌16年(元和2)には忠明の婿稲葉紀通を中島に封じた(4万5700石)。ついで17年には戸田氏鉄(うじかね)を尼崎(5万石)に,そして播磨には,小笠原忠真を明石に,本多忠政を姫路に,同政朝を竜野に入れ,大坂の西方摂津,播磨を譜代大名で固める方策を進めた。…
※「稲葉紀通」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」