穂積塚本村(読み)ほづみつかもとむら

日本歴史地名大系 「穂積塚本村」の解説

穂積塚本村
ほづみつかもとむら

[現在地名]一宮市千秋ちあき穂積塚本ほづみつかもと

佐野さの村の北にあり、村の東を青木あおき川が流れ、西を浅井あざい街道が通る(天保村絵図)。もとは穂積と塚本の二ヵ村で、穂積は村の南境、塚本は中央にあった(徇行記)。字名として塚本郷西北・塚本郷西南・穂積郷西が残る。

和名抄」に丹羽郡穂積郷、「神鳳鈔」に尾張国穂積がみえる。弘安五年(一二八二)浄金剛院領としての千世氏荘坪付注進状案(醍醐寺文書)に「(丹羽郡)穂積村十六丁五反六十歩」とみえ、文和二年(一三五三)尾張国諸郷保以下年貢并料足用途注文(同文書)の千世氏庄直納御年貢納帳に「穂積村 五百七十文七月晦日 五百五十文七月十九日 一貫四百文八月三日 八百七十文同廿五日」とみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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