穂積村(読み)ほづみむら

日本歴史地名大系 「穂積村」の解説

穂積村
ほづみむら

[現在地名]豊中市穂積一―二丁目・服部はつとり西にし町一―五丁目・寿ことぶき町一―五丁目・みなみ町一―五丁目〉・野田のだ町・稲津いなづ町一―三丁目・名神口めいしんぐち一丁目など

服部村の南、現豊中市域中央部のやや南に下がった辺りに位置し、猪名いな川と天竺てんじく川に挟まれた低地に村域がある。東は天竺川を境にしてはま村、南は野田のだ村・島田しまだ村、西は利倉とくら村など。集落は村域中央部にあるが、東側を能勢のせ街道(池田道)が通り、服部村に接して字市場いちば(現服部南町二丁目)、野田村近くに字新家しんや(現稲津町三丁目)の枝郷をもつ。なお穂積集落の周囲に東西約一千メートル・南北約八〇〇メートルの矩形をした環塁が残されている。利倉堡の跡とするもの(大阪府全志)、洪水の防止のため(豊中市史)と説が分れるが、天竺川の氾濫によってしばしば被害を受けたとみられる。

〔中世〕

豊島てしま榎坂えさか郷内西部の村。文治五年(一一八九)三月の春日社領垂水西牧榎坂郷田畠取帳(今西家文書、以下同文書については個別文書名のみを記す)によれば、東は天竺川をもって小曾禰おぞね村と境し、西は利倉庄と、北は曾根そね丘陵を挟んで垂水西たるみのにし長興ちようこう寺領および六車むぐるま郷と、南は野田秋永領や椋橋東くらはしひがし庄と接していた。その中心は六条一―二里と七条一―二里で約一九〇町歩ほどの面積をもち、村内の多くは本所を近衛家、領家を奈良春日社とする垂水西牧領で、次いで三八町歩の山城雲林うりん院領のほか、総持そうじ(現茨木市)や山城醍醐寺末清住寺の所領や住吉郡の住吉社(現住吉区)、山城石清水いわしみず八幡宮に得分の一部が寄進された国衙領があった。さらに同帳には三条院勅旨田や造酒司寮田などの諸司寮田の所在したことを示す記載があるが、延応二年(一二四〇)五月の垂水西牧穂積御庄領家田畠坪付帳では、それらは春日社領に入っており、鎌倉初期すでに垂水西牧に属していたと考えられる。雲林院領も文治五年にみえて、延応二年にみえない所領の一つである。同院領の近辺に榎坂郷内最大規模で公文名である忠吉名の屋敷と福田ふくでん寺があり、忠吉名は同院領内にも五町歩弱の名田を有していた。おそらく福田寺は忠吉名の名主の菩提寺で、彼を中心とする名主らが平安末期に盛行した念仏信仰をもち、一部得分を雲林院に寄進したのであろう。しかし、雲林院は年貢・公事のすべての収納権をえていたのではなく、同領内の名主は春日社領の住人で同社役も負担していたことから、延応二年には春日社領として検注されたものと考えられる。また同年には福田寺の寺敷はみえるものの、忠吉名の屋敷と畑地は倉武名に移っており、貞治元年(一三六二)には忠吉名は榎坂村に属する名になっている(御牧領家舎人名寄帳)


穂積村
ほづみむら

[現在地名]滝野町穂積

北野きたの村の南、加古川中流東岸に位置する。南は窪田くぼた(現社町)、東はなか(現同上)。「ほうづみ」ともよぶ。古代の賀茂かも穂積郷(和名抄)の遺称地で、中世には一帯に穂積庄が成立。当地の在地領主保隅越中守は天正六年(一五七八)の三木合戦の際、足軽大将として三木城に籠城したという(別所長治記)。慶長国絵図に「ほすミ村」と記される。


穂積村
ほづみむら

[現在地名]長浜町穂積

天保九年(一八三八)以前は下土谷しもつちや村と称し、天保郷帳にも「下土谷村」と記されている。ひじ川の支流大和やまと川河谷の山村。

慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)喜多郡の項に「下土谷村 日損所、茅山有」とある。大洲藩領。元文五年(一七四〇)の「大洲秘録」には、土産として「米・大豆・薪・蜜柑・麦・胡麻・ケシ炭」があげられている。隣の下須戒しもすがいを含めた大和地区が現在温州蜜柑の主産地を形成しているのは、このような伝統によるのであろう。


穂積村
ほづみむら

[現在地名]稲垣村穂積

東は岩木川の西側堤防に沿って発達する野末のすえ村、南西は細沼ほそぬま村。

高橋家由緒書(西津軽郡史)によれば、元禄二年(一六八九)に高橋太左衛門繁達が開拓したという。享保一二年(一七二七)には広須組に属し、川通三二ヵ村の一つで村位は下と定められた(平山日記)。元文元年(一七三六)検地帳によれば、田畑屋敷合せて二七町四反二畝二〇歩、村高は一三一・〇八九石であった。うち田方は二四町八反六歩で一二七・二九九石、上田と下々田のみで、下々田が二四町二反五畝一〇歩、一二一・二六六石とあり、畑方は下々畑だけで、屋敷地を含み二町六反二畝一四歩、三・七九石とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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