穴太庄・穴太散所(読み)あのうのしよう・あのうさんじよ

日本歴史地名大系 「穴太庄・穴太散所」の解説

穴太庄・穴太散所
あのうのしよう・あのうさんじよ

穴太庄は平安末期には摂関家領の穴太御園として存在しており、「康平記」康平五年(一〇六二)正月一三日条によると、信楽庄(現甲賀郡信楽町)などとともに春日詣の屯食各二具を賦課されている。仁平三年(一一五三)一一月の春日祭においても、裹飯五〇〇果のうちの半分が穴太に課せられ(「台記別記」同月二九日条)、「猪隈関白記」正治二年(一二〇〇)正月一〇日条でも同月の春日祭の屯食三具が「穴太御庄」の負担となっている。以上から、平安末期から鎌倉初期の間に園から庄園へ転化したと考えられる。建長五年(一二五三)の近衛家所領目録(近衛家文書)に穴太庄が記され、「武茂」の注記がある。これは近衛家の下で実際に穴太庄を知行した下毛野武茂であろう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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