日本歴史地名大系 「穴太村」の解説
穴太村
あのうむら
下坂本村の西、上坂本村の南に位置する東西に長い村域で、西は山城国。中世は延暦寺支配下の穴太散所などとしてみえ、石工集団の穴太衆が知られる(続正法論)。「平家物語」巻六(横田河原合戦)によると、養和二年(一一八二)平重衡は坂本日吉社参詣を終えた後白河法皇を穴太付近で出迎えた。応永元年(一三九四)八月
穴太村
あのうむら
穴太村
あのうむら
穴太村
あなおむら
- 京都府:亀岡市
- 穴太村
北西は
地名の起源は往古村内の
天保一二年(一八四一)の「桑下漫録」によれば高六三〇石、戸数一二、松田善右衛門知行地で、農作は五穀のほか綿・ほおずきなどを作った。
穴太村
あのうむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報