日本歴史地名大系 「音羽庄」の解説
音羽庄
おとわのしよう
現高島町音羽を中心とする平安期よりみえる庄園で、「輿地志略」は音羽・
音羽庄
おとわのしよう
阿山町音羽に比定。治承四年(一一八〇)五月一一日付皇嘉門院惣処分状(九条家文書)に京都
この惣処分状に「これらはいつこも
音羽庄
おとわのしよう
山科盆地の東北部、音羽山西麓に位置する荘園。詳しい荘域は不詳であるが、後の山科七郷のうち音羽郷(小山・竹鼻を枝郷とする)に散在していたらしい。
保元三年(一一五八)五月の山城国安祥寺領寺辺田畠在家検注帳案(勧修寺文書)に「女院御領音羽御庄」とあり、平安時代より立荘されていた。このときには美福門院(藤原得子)領であった。また文安六年(一四四九)四月の三宝院門跡管領諸職諸領目録(醍醐寺文書)に記された三宝院(現伏見区)支配の「門跡領并敷地山林田薗等」のうちに「山城国山科内音羽庄清閑寺法華堂領」とあって、山科から山ひとつ越えた清閑寺(現東山区)領となっている。「山科家礼記」応仁二年(一四六八)六月一五日条には山科七郷の構成を記して「一郷 音羽・小山・竹鼻清閑寺」とあり、この時代には郷としても清閑寺が知行している。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報