下毛野氏(読み)しもつけぬうじ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「下毛野氏」の意味・わかりやすい解説

下毛野氏
しもつけぬうじ

「下野氏」とも書く。

(1)古代東国の国造(くにのみやつこ)系豪族に由来する氏族。『新撰姓氏録(しんせんしょうじろく)』に「崇神(すじん)天皇皇子豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)之後」とみえ、上毛野朝臣(かみつけぬあそん)と同祖とされる。701年(大宝1)の『大宝律令(たいほうりつりょう)』選定に功のあった参議式部卿(しきぶきょう)下毛野古麻呂(こまろ)は有名。

(2)平安中期以降、近衛府(このえふ)を本属とし、摂関家・上皇などの随身(ずいじん)として活躍する一族。秦(はた)氏、尾張(おわり)氏などと並び、馬術に優れ、(口取)(くちとり)、競馬(くらべうま)に活躍したようすは『今昔(こんじゃく)物語集』『古今著聞集(ここんちょもんじゅう)』などの説話集や古記録にみえる。初めは西京に居宅を構えたが、平安後期以降は山城国(やましろのくに)調子荘(ちょうしのしょう)を中心に、西院(さいいん)小泉荘、丹波(たんば)国石田荘、近江(おうみ)国左散所(さんじょ)などを支配し、散所長として摂関家散所雑色(ぞうしき)も支配した。鷹飼(たかがい)の術にも長じ、室町期に至るまで秦氏とともに朝廷禁野の御鷹飼職(しき)を世襲した。

[弓野正武]

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改訂新版 世界大百科事典 「下毛野氏」の意味・わかりやすい解説

下毛野氏 (しもつけぬうじ)

10世紀以後の公家の下級武官の氏族。近衛府の舎人,院・摂関家の随身として活躍した。随身とは弓矢を帯して貴人に供奉(ぐぶ)し,警固の任にあたった公家の侍である。大化前代の下毛野氏との関係は不明。下毛野氏が舎人,随身として歴史上に登場するのは10世紀からであるが,ことに藤原道長のころから摂関家との結びつきが強まり,その家人として,摂関家の家政機関の中で重要な役割を果たした。供奉・警固の任にあたり,貴人に日常的に近侍することから,馬術,鷹飼などにすぐれ,舞楽,調理などもよくした。そのため御厩所,御随身所,雑色所などの長としてその運営にあたり,同時に摂関家(鎌倉時代には近衛家)の所領である荘園や散所の預としてその管理にあたった。また蔵人所が支配する禁野の鷹飼職を相承し,院の召次所に入ることもあった。山城調子荘を本領としたが,室町時代中葉以後は衰退した。
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世界大百科事典(旧版)内の下毛野氏の言及

【鷹飼】より

…しかし978年(天元1)出羽国から貢進された鷹・犬が,天皇が見たのちに蔵人所から師貞親王や近江供御所に班給された事実(《小右記》)の示すように,鷹飼は天皇に直属しており,やがて近衛府の下級官人の家に固定するようになっていく。9世紀後半から10世紀前半以降,下毛野(しもつけぬ)氏から〈御鷹飼〉となるものが多く出,11世紀にはまだ中臣氏も鷹飼になっているが,院政期になると下毛野氏による鷹飼職の世襲,河内国交野禁野の鷹飼免田の相伝がほぼ定まった。1161年(応保1)12月,交野鷹飼の下毛野武安・友武は,鷹飼免田を摂関家領楠葉御牧の住人と争っており,この相論は87年(文治3)までつづいているが,散所雑色長の地位も世襲した随身下毛野氏による鷹飼職,交野禁野免田の世襲は,以後も変わることなく継続した。…

※「下毛野氏」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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