窪寺城跡(読み)くぼでらじようあと

日本歴史地名大系 「窪寺城跡」の解説

窪寺城跡
くぼでらじようあと

[現在地名]長野市安茂里 窪寺

窪寺の西方さい川に臨む山の突端にある。窪寺氏代々使用の山城

吾妻鏡」文永二年(一二六五)一一月二〇日条に、善光寺警固奉行人の一人に窪寺左衛門入道光阿のことがみえる。嘉暦四年(一三二九)の諏訪社上社の五月会・御射山の頭役等を定めた鎌倉幕府下知状案(守矢文書)の「三番五月会」分のうちに「月(林)寺一方窪寺新左衛門尉跡戸狩郷地頭等」とあるように、比叡山末寺月林寺すなわち窪寺の一方の地頭であって、月林寺を窪寺とも称し、窪寺氏はその在所名を称したものと考えられる。その後、諏訪御符礼之古書(守矢文書)長禄二年(一四五八)花会頭の件に「窪寺備前守貞光、御符之礼五貫六百文、御鉾本一貫三百文、使一貫文、御教書礼同前五貫六百云々」、同書寛正四年(一四六三)花会頭の件に「御堂 窪寺備前守貞光、御符之礼六貫六百文云々」とあるように、この頃まで窪寺氏が月林寺領を支配していたが、寛正七年の同書には「窪寺小田切安芸守高遠始勤仕」とみえ、以後窪寺氏のことはみえない。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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