日本歴史地名大系 「窪寺城跡」の解説
窪寺城跡
くぼでらじようあと
[現在地名]長野市安茂里 窪寺
窪寺の西方、
「吾妻鏡」文永二年(一二六五)一一月二〇日条に、善光寺警固奉行人の一人に窪寺左衛門入道光阿のことがみえる。嘉暦四年(一三二九)の諏訪社上社の五月会・御射山の頭役等を定めた鎌倉幕府下知状案(守矢文書)の「三番五月会」分のうちに「月
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
窪寺の西方、
「吾妻鏡」文永二年(一二六五)一一月二〇日条に、善光寺警固奉行人の一人に窪寺左衛門入道光阿のことがみえる。嘉暦四年(一三二九)の諏訪社上社の五月会・御射山の頭役等を定めた鎌倉幕府下知状案(守矢文書)の「三番五月会」分のうちに「月
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