竇太后(読み)とうたいこう(その他表記)Dou tai-hou; Tou t`ai-hou

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「竇太后」の意味・わかりやすい解説

竇太后
とうたいこう
Dou tai-hou; Tou t`ai-hou

[生]?
[没]永元9(97).閏8.14.
中国,後漢の章帝皇后扶風 (陝西省) の人。竇融 (とうゆう) の曾孫。父は竇勲,母はし陽 (しよう) 公主。幼いときから聡明な美人で,建初2 (77) 年宮中に入り,章帝および馬太后 (明帝の皇后) に認められ皇后になった。子がなく,宋貴人,梁貴人にそれぞれ男子があった。彼女は2貴人を殺し,皇太子であった宋貴人の子を廃し,梁貴人の子を養子にした。これが和帝で,和帝即位後は皇太后となり専横をきわめた。

竇太后
とうたいごう

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