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和帝 わてい Hé dì

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世界大百科事典 第2版の解説

わてい【和帝 Hé dì】

79‐105
中国,後の4代皇帝。在位88‐105年。姓名は劉肇(りゆうちよう)。章帝の皇后竇氏(とうし)の養子となり,7歳で即位。竇太后が臨朝し,外戚竇憲の専横を招いた。このため,宦官(かんがん)の協力を得て,竇氏の党派を排除して,親政をおこなった。選挙(官吏登用)の充実につとめ,人物の推薦にあたっては実質の当否を査察させた。西域都護を復活させ,班超をこれに任じた。西域50余国が服属し,班超は部将の甘英を大秦国に派遣するなど,対外的には後漢の威勢がもっとも高まった時期にあたる。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

和帝
わてい
(79―105)

中国、後漢(ごかん)第4代の皇帝(在位88~105)。姓名は劉肇(りゅうちょう)。治世が剛でも柔でもなかったので、和帝と諡(おくりな)された。母の梁貴人(りょうきじん)の死後、竇太后(とうたいこう)の子として育てられる。章帝が死去すると、竇太后は10歳にすぎない肇を即位させて摂政(せっしょう)となった。27歳で世を去るが、その治世中は竇氏らの外戚(がいせき)や宦官(かんがん)の勢力が活発となり、対外的にも匈奴(きょうど)などの周辺諸民族の侵入を招いた。後漢帝国も、光武帝、明(めい)帝、章帝と順調に治まってきたが、和帝以後は外戚、宦官勢力の拡大によって乱世へと移っていく。[鶴間和幸]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
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