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立原春沙 たちはら しゅんさ

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美術人名辞典の解説

立原春沙

江戸後期の画家。画家で水戸藩士立原杏所の娘。名は栗・春子。字は沙々。父及び渡辺崋山に画を学び、繊細な花卉図を描いた。崋山門下十哲の一人。安政5年(1858)歿、41才。

出典|(株)思文閣
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

立原春沙 たちはら-しゅんさ

1818-1858 江戸時代後期の画家。
文政元年生まれ。立原杏所(きょうしょ)の長女。幼時から父に書画をまなび,のち渡辺崋山に師事する。天保(てんぽう)14年から加賀金沢藩主前田斉泰(なりやす)の夫人溶姫(ようひめ)につかえる。精密で写実的な花鳥画をえがいた。安政5年11月3日死去。41歳。名は春子。字(あざな)は沙々。作品に「菊図」など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

立原春沙

没年:安政5.11.3(1858.12.7)
生年:文政1(1818)
江戸後期の画家。南画家立原杏所 の長女。名を春子,字を沙々といった。画を父と渡辺崋山に学び,繊細な花卉図を描いた。崋山門下十哲のひとりに数えられる。天保10(1839)年,加賀(石川県)藩主前田斉泰夫人に仕えることとなり,生涯独身を通した。月琴にも長じたという。江戸城大奥で彩色花鳥図襖絵を描き,将軍御台所より筆勢の素晴らしさを賞賛されたという逸話を持つ。墓は東京・本郷駒込海蔵寺にある。代表作に「菊図」(茨城県歴史館蔵)がある。

(安村敏信)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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