コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

立原杏所 たちばな きょうしょ

美術人名辞典の解説

立原杏所

江戸後期の画家・水戸藩士。名は任、字は子遠・遠卿、通称は甚太郎・任太郎、別号に東軒・玉琤舎等。画は初め僧月僊に学び、のち谷文晁門下となる。渡辺崋山椿椿山らと交友があった。元・明画を研究し、山水花鳥を得意とした。天保11年(1840)歿、55才。

出典 (株)思文閣美術人名辞典について 情報

百科事典マイペディアの解説

立原杏所【たちはらきょうしょ】

江戸末期の文人画家。水戸藩士。名は任,字は遠卿,杏所は号。翠軒を父とし,学識深く高潔の士であった。南画谷文晁に学び,渡辺崋山椿椿山らと親交。書もよくした。

出典 株式会社日立ソリューションズ・クリエイト百科事典マイペディアについて 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

立原杏所 たちはら-きょうしょ

1786*-1840 江戸時代後期の画家。
天明5年12月16日生まれ。立原翠軒(すいけん)の長男。常陸(ひたち)水戸藩士。3代の藩主につかえ,徳川斉昭(なりあき)の信任をえる。画を林十江,小泉檀山,僧月僊(げっせん)らにまなび,谷文晁(ぶんちょう)の影響もうける。渡辺崋山と親交をむすんだ。天保(てんぽう)11年5月20日死去。56歳。名は任。字(あざな)は子遠,遠卿。別号に東軒,香案小史など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

朝日日本歴史人物事典の解説

立原杏所

没年:天保11.5.20(1840.6.19)
生年:天明5.12.16(1786.1.15)
江戸後期の南画家。水戸の出身で3代の藩主に仕えた。名は任,字は子遠,はじめ甚太郎,のち任太郎と称し,香案小吏とも号した。父の立原翠軒は水戸藩随一の学者で,絵画にも造詣が深かった。杏所は当初林十江に学び,円山四条派の影響も受け,江戸に移ってからは谷文晁にもついた。渡辺崋山とも親しく,崋山が蛮社の獄(1839)で逮捕されたときは,椿椿山と救援に奔走した。すっきりと垢抜けした気品に富んだ表現が,杏所の作風の特色になっている。代表作に「葡萄図」(東京国立博物館蔵),「芦雁図」(個人蔵)などがある。

(小川知二)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

世界大百科事典 第2版の解説

たちはらきょうしょ【立原杏所】

1785‐1840(天明5‐天保11)
江戸後期の文人画家。水戸藩士。名は任,字は遠卿,子遠,通称甚太郎。杏所のほか号に東軒,玉琤舎,香案小吏など。立原翠軒の長子で藩主徳川治紀(武公),斉修(哀公),斉昭(烈公)3代に仕え,ことに烈公の信任厚かった。幼少のころ林十江(長羽)に絵を学び,のち僧月遷に,また江戸で谷文晁に師事した。明清画の研究にも深く手を染め,格調ある画風を確立したが,古画の模写と写生を重視する作画態度は,文晁の影響が強かったと思われる。

出典 株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について 情報

大辞林 第三版の解説

たちはらきょうしょ【立原杏所】

1785~1840) 江戸後期の画家。立原翠軒の長子。谷文晁門下で、渡辺崋山らと交わり元明画を研究、山水花鳥画をよくした。

出典 三省堂大辞林 第三版について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

立原杏所
たちはらきょうしょ

[生]天明5(1785).12.26. 水戸
[没]天保11(1840).5.20. 江戸
江戸時代後期の南画家。立原翠軒の子。名は任,通称は甚太郎,字は子遠または遠卿,号は東軒,玉そう舎,杏所。水戸藩士。初め水戸の町人画家林十江に,のち谷文晁に学んだ。さらに渡辺崋山,椿椿山 (つばきちんざん) ,高久靄 厓 (たかくあいがい) らと交わり,品格高い花鳥虫魚図を得意とした。主要作品『芦荻鴛鴦図 (ろてきえんおうず) 』『松下弾琴図』『雪月花』『水藻遊魚図』『葡萄図』。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

367日誕生日大事典の解説

立原杏所 (たちはらきょうしょ)

生年月日:1785年12月16日
江戸時代後期の南画家
1840年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

立原杏所の関連キーワード立原朴次郎秋山要助立原春沙高久靄厓生年月日鶴峯戊申荒木寛快

今日のキーワード

いい夫婦の日

11月22日。通商産業省(現経済産業省)が制定。パートナーへの感謝の意を示し、絆を深める。...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android